「東京にある隈研吾建築は?」
「M2ビルの内観がみたい!」
こんにちは!くりです。
東京には沢山の隈研吾さんの建築があります。
例えば浅草文化観光センターやサントリー美術館など。これらは建築をあまり知らない人でも認知されていますね。
それでもあまり一般には知られていないのが、東京世田谷にあるM2ビルです。
そこで今回はM2ビル(東京メモリードホール)のアクセスや内観、外観などを沢山の写真とともにご紹介したいと思います!
建築家・隈研吾、M2ビル(東京メモリードホール)とは?
まずはじめに設計者の隈研吾さんと、M2ビル(東京メモリードホール)をご紹介します!
建築家・隈研吾とは?
出典:wikipedia
神奈川県出身の建築士。現在64歳。
東京大学建築学科大学院を修了後、日本設計を経て、隈研吾建築都市設計事務所を設立しました。
木材を使った建築を得意として、現在国際的な活躍を見せています。
代表作品は、根津美術館や新国立競技場など。
M2ビル(現東京メモリードホール)とは?
1991年、竣工。東京メモリードホール。
自動車会社のマツダが、「もう1つのマツダ」を作るために設計されました。
それが「M2ビル」の由来です。
当時はマツダのディーラーやショールーム、イタリア料理店、洋書専門店がビルに入っていました。バブル期っぽいですね。
2002年、このビルは葬儀会社のメモリード東京に売却されて、葬儀場としてリニューアルされました。その時にデザイン変更はほぼなかったようです。
住所:東京都世田谷区砧2丁目4−番地27号 東京メモリードホール
TEL:03-3749-0983
M2ビル(東京メモリードホール)への行き方(アクセス)
電車で行く
小田急線「千歳船橋」駅より徒歩10分
小田急線「祖師ケ谷大蔵」駅より徒歩15分
小田急線「成城学園前」駅北口よりタクシーで約8分
バスで行く
小田急線「千歳船橋」駅より、園01系統東急バス田園調布駅行「砧町東」下車1分
楽に行きたいのなら、小田急線の「千歳船橋」からバスで行きましょう!
ほぼ歩かなくて済みます。
M2ビル(東京メモリードホール)の見学
内部への見学が可能です!
僕は見学ができることを知らず、入り口でこそこそ写真を撮っていたら、女性スタッフの方に声をかけられました。
「どういった御用ですか?」
「あ、あの建築を見たくて…」
「今は会食が行われているだけですので、その部屋以外なら自由にご覧ください」
「まじですか!」
という感じで許可をもらいました。笑
まさか葬儀場を見学できるなんて、思いもしてませんでした。僕の対応に慣れていたので、けっこう見学に来る人がいるようです。
M2ビル(東京メモリードホール)を紹介!
これから実際に僕が撮影した写真とともにご紹介します!
M2ビル(東京メモリードホール)の外観写真
すごい見た目をしていますね。
くるんとしている円柱は、古代の柱、イオニア式がモチーフとなっています。
当時流行っていた建築様式を無視して、「東京のカオス」を想像してデザインされたそうです。
前には環八が通っています。
確かにこの大きな道路に負けないくらい、気迫あふれる建築です。
後面は絶壁になっていました。
丸が線でつながっているのは、何がモチーフなのでしょうか?電気回路的な?
全てコンクリートでできています。
今の木材メインの隈研吾建築を見たら、想像できない建築物ですね。
M2ビルの評判が乏しくなかったのと、バブル期が弾けたことを理由に、東京での依頼が10年もなくなってしまったようです。
それから隈研吾氏は地方で活躍を広げていきます。
M2ビル(東京メモリードホール)の内観写真
中に入ってみます。ここでうろちょろしていたら、女性スタッフの方に声をかけられました。
かっこいい。近未来的です。
階段で上にあがってみます。
壁面には絵画が飾られています。
これが円柱の丸ですね。
隈研吾建築なのに、木がない…だと!?
パンテオン?
見学終了です。
帰ろうとしたら「なにか聞きたいことはありますか?」と、丁寧に質問してくれました。
でも特に思いつかなかったんですけど。
「ちなみにどこの大学ですか?」
と聞かれました。
建築見学するとたまに聞かれるのですが、ちょっとやめてほしいですね。
毎回学歴コンプレックスを無事刺激されます。
まとめ:当時批判されたM2ビルは、平成終わりの今でも壮大に建っている
M2ビルをご紹介しました。
なかなか評判が悪かったらしいのですが、実際にみると、「こんな気迫にあふれ、狂気が入り交じる建築は珍しいのでは」と感じました。
M2ビル、僕は好きです。
興味があるなら、ぜひ足を運んでみてください!
関連記事
大学生の方でしたか。何かのご縁ですが、近日中にこちらで葬儀です。